「火が消えたからもうだめだ」
転がったスキットルを立て直す頭はなかった。二階の事務所の一室にふたり押し込まれ、次の啓示を待てと言う。ボスとは隔離され、イグニス・エクスは「然るべき時に」とだけ告げて出て行った。
机の縁に沿って知らない銘の煙草が二箱置いてある。最後の晩餐、と心の中で唱えて中指を立てた。自分の好きな銘柄は知らない。吸いさしに持ち主なんてない。名前を亡くした燃殻に、過去を捨てた自分たちを重ねた夜は何度となくある。
部屋は北西向きらしい。小窓から差し込む赤い光。俯いた首筋にそれが当たり、熱い。
熱い。頭の中でやかましく響くその感覚を、ごくりと飲み込む。指先がかじかんで、動かなくなるのが怖くて意味もなく小箱に手を伸ばす。机の上をざっと見渡す。違和感だらけの体で立ち上がり、一本をくわえて赤い小窓に押し当てる。
顔の半分に陽が当たると、こんなにも熱いのに。
「火ィ、つかねぇ」
しばらくして、だろうな、と笑う声が、昨日より弱々しく聞こえる。無視して頭をもたげたまま、鈍い関節を曲げてガラスに触れると、冷たかった。
斜陽は体を燃やすのに、今触れたこれは冷たい。
しばらく何も考えられずに、ふい、と窓を背に壁に寄りかかると、だんだんと視界がゆがんでいくのがわかる。
相棒は机で己の掌をあわせて、これまで何度も何度もやってきたルーティンで、昨日に帰ろうとする。
「もう、なんもねェよ」
悪あがきはよせ。そんな意味で放った言葉は、彼の心も、自分の心も傷つけた。ハッとして早足で近く。いたたまれなくなって、その祈りを上から押しつぶす。乾燥した両手は机の上で、昨日と同じように冷たいままだ。
「手」
「……」
「もうよせ」
俺の体温は高い。相棒は低い。初めて知ったときからずっとそうだった。もし今、こいつの手が冷たくなかったら。俺の手が熱くなかったら。考えるとぞっとする。押しつぶした指先を包みさすってやると、昨日と同じ高い声が、かすれながら吐露する。
「…よかった、お前まで変わっちまってたらどうしよ……、か、と」
炎が体の中から消えたことは、否が応でも理解できた。体が重い。思うように手が動かない。俺は変わってしまった気がするが、お前はどうなんだ。
怖い。何もわからない。わかりたくない。
「俺は変わらねぇよ、俺を信じろ」
背を震わせて、相棒はため息をつく。
昂った気持ちを抑えるために。そうだと思いたかった。
「……はは、一から出直すってか」
心が折れそうになった時、いつだってその力の大きさが俺たちを支えてきた。仲間を失い、街を追いやられ、誰からも必要とされなくても、この力があるから生きてこれた。この力は特別で、俺たちは選ばれたんだと信じて疑わなかった。
「夢でも見てたのかな」
とうとうしゃくり上げて、相棒は涙をこぼす。
そうか、俺たちは弱い、ただの人間に成り下がったのだ。
「魔法は、解けちまったのか」
俺はその声にいつも救われてきたが、俺はこいつを救えなかったのだ。
0コメント