軽い食感 ほらよ、と渡された、親指ほどの包み。ちっさ、と小さく返す。「侮るな、まぁ開けてみろよ」 促され針金の留め具をねじる。こういうタイプ、どっちに回せばいいか一瞬わからなくて苦手なんだよな。俺が苦戦している様子をメイスはにこにこと見下ろしていて、少しばかり嫌な気配すらする。「なんだよ、爆発でもすんのか!」「アホ、ちげーよ」 ビビットなピンク色の包みを開けると、中から丸い玉が出てきた。「……チョコ」「そう、トリュフチョコだ」 大袈裟に胸を張るメイス。トリュフチョコがなんなのかわからない俺。「ピザ屋でもらったんだけどよぉ、うまいぜ? カリッとしてフワッとすんだよ。ゲーラの分ってもらったから持ってきてやったぜ。ありがたく思え」 肩を組んで自慢...07Feb2024ゲラメイ
涙を拭う雨季になるととてもじゃないが一日起きていることができない。朝から倦怠感が引かず食欲も失せ、生ぬるい風に当たりながら俺は戸棚に突っ伏して仮眠を取っていた。まだ木の匂いが残っていて、湿っぽいそれはなんの刺激もない布団の上よりはましな心地がした。「よ、まだ寝てんの?」「おん」風邪ひくぞ、とゲーラは散らかった布切れを俺の背にかけるが慰めにもならない。何かと思えば暇なんだと言う。「お前は元気だな」「俺は天気関係ねーから」揶揄も僻みも皮肉も効かない陽だまりのような笑顔で目の前に座る相棒に、今ばかりは殺意を抱かずにいられない。言い返す力もなく俺はまた俯いた。「あたま?腹?」「ぜんぶ」「やべぇ匙の投げようだな」「腹減った……」頭が痛い、食欲がない、...03Dec2020ゲラメイ
夜は短しどちらからともなく同じ時に同じことを考えて、風に誘われるようにダラスに乗るとあいつもマイアミに乗っている。だからこの、ツーリングなんていう気休めをつい大切な時間のように扱ってしまって、口には出さないがあいつも同じ考えだと信じている。俺は髪を高く結うと首筋から湿度が逃げていく。飽和した熱い風が憂いを洗い流してくれるのを待ち、そうして上を見上げると少しだけ目が覚めた気がして他人事のように周りの景色を楽しめるようになるんだ。山中、舗装された斜面を走っていると道路は下り坂に差し掛かり、前を走るゲーラは車線を無視して遊んでいる。暗闇で蛇行する四輪は轍に火花を散らしながら自由に笑い、進路を塞がれた俺が手中に練り出した火の玉をそのバギーに投げつけ...03Dec2020ゲラメイ
氷の船 イグニス・エクスは突然俺たちに、うちへ来ないかと持ちかけた。正確には俺がひとりでいるところを捕まえられ、後の二人にも聞いておいてほしいとのこと。何故だと問うと特に理由はないと言う。不躾にも程があると断った。しかし食い下がる。どうしてかと聞くと大したことじゃないと言う。埒が開かない。考えとくぜと言って俺はその場を後にした。 まず最初にゲーラに伝えた。するとあくびをしながら二つ返事で行こうぜと言う。想定の範囲内だったがお前には警戒心というものがないのかと叱ってやった。 次にボスに尋ねた。彼は少し考えて、どんな理由かわからないがもう争い合う必要はないからぜひ行こうと答えた。ボスがいいならいいですけど。そうして俺たちはイグニス・エクスの自...03Dec2020ゲラメイ
日々、欲しがる 雨だから、寒いから、眠たいから、腹が減ったから。簡単なことで人は悲しみを繰り返す。雨が晴れれば、夏が来れば、羽毛布団をかぶれば、あの店のシュークリームを食べれば。簡単なことで人は喜びを味わえる。 いつものように、そう、いつものようにだ、コーヒーを淹れて朝のラジオから流れる天気予報を聞き、ベランダに出て今日はなにを着ようかと考える。日々繰り返していた、当たり前にあったそれを今は渇望している。 バーニッシュは自由だ。法も、宗教も、ご近所付き合いも仕事もない。身ひとつで生きていく。自由という名の不自由を思い知らされて、嘆かないものなどいるのだろうか。「バーニッシュの歴史は浅い。新人類が市民権を得るのは並大抵のことじゃない」「だからってこ...03Dec2020ゲラメイ
瞳に焼かれるゲーラが頭、間に部下、一番後ろから俺は追走する。プロメポリスのメインストリートには特に消火設備が多く整えてあり、俺はそれを轢き壊しながら風を切って行く。能ある鷹はすべてを見渡し、こいつらの命を、発散されていく炎と一緒に守って行かなくてはならない。自分用にカスタマイズした細いハンドルを握り、炎上する快感とともに身を引き締めた。彼は誰時の静寂の中、まだ陽の光の届かないキンと冷たい空気の中で、街路樹の葉の一枚一枚に朝露が滴るのを見る。それを愛でる心はまだある。しかしそれとこれとは別物だ。エンジン音を高鳴らせては良い子で眠る共和国の心臓部を叩くため、この時ばかりは慈悲も虚も全て忘れた。「クレイ・フォーサイトだってまだねんねだぜ」「はは、そう...03Dec2020ゲラメイ
藤の丘にてどこへ行くんだと問われ、ちょっとそこまでと定型文を返す。それほど嫌気がさしていた。こんな時、ダラスはなにも言わず走り続けてくれる。俺の無二の相棒、言葉を交わさなくても俺のことは全てお見通しなんだ。「今日も頼むぜ、相棒」荒涼とした気持ちもマフラーから吹き飛ばせば、彼は俺を忘却の彼方へも連れて行ってくれ、いつもの生温い風も冷静さを取り戻すには十分なプレゼントだった。ツーリングにはいつもこの道を使う。舗装されないままの赤土の振動と、火山がずっと傍に居てくれる安心感と。ゆりかごの様に俺を癒してくれる。隣町はプロメポリスよりは小規模だがそこそこに栄えていて、俺はたまに、バーニッシュであることを隠してひとりになるためにここへ来る。「おやじ、コー...03Dec2020ゲラメイ
ただいま昨日の夜はずいぶん冷えたが湯冷めしないうちに布団へ入ったのが良かった。ぬくぬくと秋の静かな夜を過ごし、目が覚める頃には眉間の痛みも消え、ベッドに差し込む日光を清々しいとさえ思えた。伸びをしてから邪魔な前髪を掻き上げて目覚まし時計に手を伸ばすと、チリ、とベルが鳴る。「……昼か?」流石に寝過ぎたらしい。今日は久々の休日で、俺もゲーラも予定はなかったはずだ。しかし隣にいるはずの相棒を探しても辺りは物音ひとつせず、出掛けたか、と考えついた。仕方がねぇ、今日はもう捨てよう。布団をかぶり直し大きく息を吸う。布団の匂い、汗の匂い、シャンプーの匂い。暗幕の中でこもったそれに安心しながら、またうとうとと微睡みのなかに溺れた。どれくらい寝ていただろうか...03Dec2020ゲラメイ
たり‐よ【足夜】たり‐よ【足夜】〘名〙 満ち足りた夜。茶色いくまのパズ、赤い長靴のアンネとルドルフ、通学カバンのアイリーン。彼らは今も俺のなかで、ずっとずっと生きている。今、お前に対するこの気持ちはなんという名前なんだろうか。目が覚めると既に日は昇っていて、およそ時計のあたりへ手を伸ばし、その途中で今日は休みだと気づいた。広くなってるベッドの脇の転がった酒瓶を立たせ、脱ぎ散らかしたシャツを拾い上げる。右から左へ移動させる。ハンガーからはずしたカットソーに袖を通すとあくびが出た。前髪を掻き上げながら辺りを見渡す。扉を隔てて、リビングから声がする。「飯は?」「ん……食う」今日はメイス様特製オムレツだと、フライパンを構えて揚々と笑っている。へぇ、そりゃい...03Dec2020ゲラメイ
花火前日譚日中の最高気温は三十度を超え、自然発火でもするんじゃないかと不安になる。そんなわけないけど。アスファルトの陽炎を抜けて私はクーラーの効いた本部の冷凍庫を開けた。箱の中に外の空気が入ると渦を巻いて、滞った冷気が顔に吹き付けられて口角が上がる。その涼を貪っては怒られるので、私は水色の棒アイスをすぐさま取り出した。咥えながらパトロールの予定表を眺めていると、机の上のフリーペーパーにメイスは釘付けになっていた。髪で隠れて表情は見えないけど姿勢は真剣で、ページを盗み見ると花火大会の特集だった。「行きたいの?花火大会」「うえっ!あ、アイナか…」「何よその言い草ー!」「ああ悪い、祭りは行きたいかなって」思ってる。そこだけ小さく呟くから、私は彼の中...03Dec2020ゲラメイ
花火蒸し暑くて襟元が汗で濡れる。せっかく貸していただいたのに汚して返すのは忍びないが、これの洗濯の仕方がわからずにご迷惑をかけるだろうと思うと眉間にシワがよった。目の前を歩くゲーラはおぼつかない足取りで、慣れない履物に苦労しているようだ。「おい転ぶぞ」「だって、かかとがガポガポする」黒の縦縞の浴衣をきちんと着せてもらったのに裾はだいぶ緩んでいて、それもこれもこいつが浴衣の作りを理解せずに大股で歩くからだ。俺には直せないって言ってんのに。メイスは大丈夫なのかよと睨まれたが、俺は普段からヒールを履いているから今更かかとが安定しないくらいではうろたえない。ゲーラは一足踏み進めるたびにかかとがずり落ちて、鼻緒が千切れてしまわないかと不安になった...03Dec2020ゲラメイ
永遠と福音 ゲーラがその店を訪れたのは夏の終わりだった。朝から晩まで溶けてしまいそうだった酷暑が、その後二、三度の雨の後、秋の様相を整えて、すっかり冷え込むようになった。 メイスに内緒で訪れたのは駅前にある雑居ビル。人の波に押されながらそろそろと近付き、ガラス越しのショーウィンドウを見入る。そこには既にたくさんの衣装や記念写真が飾られて、皆曇りない笑顔でおさめられている。 展示のひとつに目をやると、「あなたの一生の思い出に」と硬い明朝体で書かれてあり、足元に緊張が走る。 そこに至るまでに皆、どれほどの思いを越えて来ただろうか。自分達のように命を脅かされるような事はなかったにしても、契りを交わす彼らの間には途方もない壁もあったに違いない。 真っ...03Dec2020ゲラメイ