蒸し暑くて襟元が汗で濡れる。せっかく貸していただいたのに汚して返すのは忍びないが、これの洗濯の仕方がわからずにご迷惑をかけるだろうと思うと眉間にシワがよった。
目の前を歩くゲーラはおぼつかない足取りで、慣れない履物に苦労しているようだ。
「おい転ぶぞ」
「だって、かかとがガポガポする」
黒の縦縞の浴衣をきちんと着せてもらったのに裾はだいぶ緩んでいて、それもこれもこいつが浴衣の作りを理解せずに大股で歩くからだ。俺には直せないって言ってんのに。
メイスは大丈夫なのかよと睨まれたが、俺は普段からヒールを履いているから今更かかとが安定しないくらいではうろたえない。
ゲーラは一足踏み進めるたびにかかとがずり落ちて、鼻緒が千切れてしまわないかと不安になった。
「仕方がねえな、肩貸せよ」
「うるせえなシラフなのにんなこと出来っかよ!」
うるせえうるせえ、こんな人混みで連れにすっ転ばれるこっちの身にもなってみろ。ゲーラは草履に集中して全くこっちを見ない。それが気にくわない。そのまま真っ直ぐいったらお前、焼き鳥の屋台に突っ込むぞ。
「あっ、おいゲーラ!こっちだ!」
「えっ、なに?」
つい意地悪をしたくなった。うろたえる姿を見ようと参道沿いにあるフルーツ飴の屋台に近づいていくと、待ってだとかメイスだとか、俺を呼ぶ声がする。しかし人の波を遮って歩く技術はあいつにはない。だんだんと小さくなる声が面白くて可愛くて、俺はその姿を見ようと振り返った。
「あ、あれ?」
あの派手な赤毛が見当たらない。さっきまで道の真ん中をのそのそ闊歩していたのに、人混みに埋もれるほど背は低くないはずなのに、影も形も見えなかった。
しまった、ここではぐれては間に合わないかもしれない。
「くそ、あいつ~!」
自分のことは棚に上げて、俺は二人分のパイン飴を巾着袋にしまいこんだ。
参道の隅から隅まで一通り探しても見当たらない。この歳になって迷子かよ、悪態をついて反対側へ行こうとすると通行人にぶつかった。
衝撃で巾着袋が落ちて、すみませんと言って拾うと中で携帯電話が光っている。
「ゲーラ!てめぇどこだよ!」
『メイスこそどこだよ~!!ばか!』
「いいからどこにいるのか言えって行くから!」
半べそのゲーラは神社の境内まで辿り着いたらしい。ぽくぽく歩くとそこは厳かな雰囲気を崩さず、人気も少なく佇んでいた。
鳥居のあたりにゲーラはいた。呼ぶと悲しげに赤い瞳を揺らして、ごめんと一言呟いてたから、しょうのないやつだと笑った。
「とりあえず会えたが…どうするかな」
「なにが?」
祭りの醍醐味をなんだと思っている。この屋台の列はすべてこの神社が主催する花火大会の余興だ。しかしこの時間になっては席は埋まってるし、近くまで行くにもゲーラの足は休みたいだろう。
ディスプレイがポンと光って、ボスからのメールを告げた。
『今どこだ?ガロがいい席を見つけたから一緒に観ないか』
ありがたいお言葉だ。しかし丁重にお断りした。
「えっ、ボスんとこいかないの?」
「お前のせいでな」
ちぇ、と舌を鳴らすゲーラの横顔を見ながら、この方がお互い幸せなんだと心の中で言い聞かせた。
「そろそろ時間だな、まぁ音くらいは聞こえるだろ」
「悪い、メイス楽しみにしてたのに」
「いいってば、とりあえず足ひやせよ」
境内のベンチに座ってぼんやりと星空を眺めた。
ゲーラは買ってきた冷凍ペットボトルを足に当てて、鼻緒の跡を冷やしている。冷やしパインを差し出すとかぱっと大きな口で迎え入れ、一口で半分ほど取られてしまって、遠慮のなさに呆れた。
「は、ばかみてぇ」
「お前がやったんだろ!」
すると美味しそうに頬張る顔の後ろから、黄色い花が顔を出した。
「あ、あ?花火だ」
「えっ、どこどこ?ここ見えるの?」
遅れてドドンと打ち上げ花火の音がする。
柳の向こうにほんの少し、頭だけ顔を出したとりどりの花は、次は大輪の菊を咲かせた。
「おおーよく見える!」
「え!穴場じゃんここ!」
やったな!と笑うゲーラにつられて笑みがこぼれる。
二人で同じ方向を向いて同じものを見ている、そのことが嬉しくて、前に座る赤毛の柔らかさが愛おしくなった。
その向こうに満開に咲く花を見て、こいつも同じ気持ちだったらいいなと思ったし、そうに違いないとも思った。
「メイスー」
「ん?」
「きれいだな」
「だなあ」
ゲーラは突然振り返りどうってことない会話をし出して、遠くを見ながら答えていると柔らかなタレ目をますます細くして言った。
「俺さ、今日のお前も可愛いと思うよ」
「……はい?」
「だーからー、メイス可愛いなって思ったの!かんざしつけてるし、浴衣似合ってるし。よかったな、着せてもらって」
にこにこしながら何をいうのかと思いきや。俺がこの日を楽しみにしてたのも、浴衣も、かんざしも、全部全部。
「……これは全部お前のためだ」
0コメント