どこへ行くんだと問われ、ちょっとそこまでと定型文を返す。それほど嫌気がさしていた。
こんな時、ダラスはなにも言わず走り続けてくれる。俺の無二の相棒、言葉を交わさなくても俺のことは全てお見通しなんだ。
「今日も頼むぜ、相棒」
荒涼とした気持ちもマフラーから吹き飛ばせば、彼は俺を忘却の彼方へも連れて行ってくれ、いつもの生温い風も冷静さを取り戻すには十分なプレゼントだった。
ツーリングにはいつもこの道を使う。舗装されないままの赤土の振動と、火山がずっと傍に居てくれる安心感と。ゆりかごの様に俺を癒してくれる。
隣町はプロメポリスよりは小規模だがそこそこに栄えていて、俺はたまに、バーニッシュであることを隠してひとりになるためにここへ来る。
「おやじ、コーク」
あいよ、そう愛想よく小瓶を取り出す白髪頭に手を振って、暗がりの奥のテーブルで一服する。薫る煙のその先を見守り、ぼうっとするのが好きだった。
煙の中に見えるのは安寧と、泥の様に沈んだ心を癒す魔法。あの一件はゲーラが悪いと俺は思っていて、彼も同じ様に俺が悪いと思ってる。埒のあかない言い争いは体力を消耗するだけで、そんな非生産的なことをする時間は俺たちにはないのにと顔をしかめた。
「ったく、わからずや……」
鉛色の液体を喉に流し、痺れたところはそのままにしておく。小さな痛みも今は、俺が人間であることを再確認させてくれる有意義なものだった。
店を出て帰路へハンドルを向けるがなかなか走り出す気にならない。見慣れぬ街並みの違和感に落ち着きたくなる衝動を抑えて遊び半分にフレアを出していると、しゃがれた声をかけられた。
「にいちゃん、よかったらここ行ってこいよ」
「は?」
「ちょうど時期なんだ、にいちゃんプロメポリスから来たんだろう?あっちと違ってここは自然しかねぇからなぁ」
はっはと高笑いする白髪親父からチラシを受け取る。市場で催し物をやっているらしい、それを俺に見てこいだと。
「ありがとよ」
気前いい旦那へ挨拶程度に礼を言って、ダラスはまた走り出した。
記された町に着くとざわざわと町全体が祭りの雰囲気だった。この軽装では少し浮いてしまいそうな、民族衣装に身を包んだ村人達がアコーディオンの音楽に合わせて踊っている。
「感謝祭か何かか?」
ひとりごちて屋台の合間を縫うと、肉の焼ける匂いや子供達の笑う声、とりどりの野菜や花が売っていて、賑わいは最高潮という雰囲気で思わず笑った。
「ゲーラも連れてくればよかったな」
はっとした。言い争って出て来たはずが、つい彼の喜ぶ顔が浮かぶ。
途端にまた荒んだ気持ちが押し戻されて、喧騒の中でたったひとり隔絶された様な、そんな虚しさに息が止まりそうだ。
舌打ちをして、前へ進むとすれ違い様に人とぶつかる。声を出され注意をされ、その声は確かに聞こえていたはずなのに心臓が昂って振り向けず、心が真っ暗になった。
耳が痛くなって俯きかけた頃、ふと歩みが軽くなり、突然躊躇いなく息が吸えるようになった。
視線の先には小さな石碑と、山の様にそびえた紫色のアーチがあり、蝶のような蕾が鈴鳴りになっているのを掌に乗せるとたわわなそれは甘く柔らかく香り、掬ったそれには小さなアリが歩いていた。
もう帰ろうとダラスを形成するが、指を鳴らしてもうまく作れない。なんだよお前まで、俺にそっぽ向くのか。
炎が揺れる掌を握りしめ、行き場のない怒りが燃える。昔からそうだ、感情的になればなるほどうまく行かなくて、ゲーラに辛く当たったのもそのせいなのかも知れない。そう考えると色んな辻褄が合ってしまって、悔しさで歯を食いしばる。
「……くそ、ばかゲーラ」
「なんだよ」
背後からの声に臨戦態勢をとった。垂れ下がる花弁に隠れて顔は見えないが、その声が誰か、すぐにわかる。
無視をして奥へ進むと降る雨のように咲く花は密度を増し、色も香りもどんどん濃くなって鼻腔を刺激する。進むごとに花弁が顔に当たり、しかしそのささやかな抵抗を俺は受け入れられない。
俺はまだお前を許せないし謝れない。だから、会いたくない。
紫色をした慈しみはかくも滝のように降り注ぐ。刺々しい俺の心を柔らかく包み、またその暖かい手がかすかに頬を撫でるとそのまま立ち止まらせた。
あいつは追ってこない。
「……なんでこねぇんだよ」
振り返ってもあたりは花びらで覆い尽くされ、右も左も分からないまま美しさに息を呑む。
薄い紫の衣を纏った、俺の悲しい心と一緒に降り落ちる花の雨。時折風に吹かれて散るさまがますます儚い命を思わせて、太陽の光に透けてキラキラとアメジストの輝きをなす。
謝りたい、けどまだ出来ない。
空を仰いでも花の中から出られなかった。
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