「やっべぇ寝過ごした」
飛び起きると隣は空っぽで、舌打ちをしながらリビングへ向かうとメイスはすでに朝食を終えていた。なぜ起こさねぇとやきもきしながらコップのミルクを飲み干して、勢いよくテーブルへ戻すと小指をぶつけた。
「ああ、おはよ」
「メイスなんで起こしてくんねぇんだよ! 遅刻すんだろ!」
「俺は遅刻しない。お前は今からじゃヤバいかもな」
メイスは乾いた笑いを見せながらも、テーブルに置かれた俺の分の朝食皿を白い指先で指し示す。
「食べてる時間ねぇ!」
「あ? てめぇ俺の手料理が食えねぇってのかよ」
あくせくと着替えているとじっとりと睨まれる。コーヒーカップに口をつけたままのメイスの視線の先には、きちんと半熟で焼き上げられた目玉焼きがあった。
「あっ……はい…ありがとうございます」
いただきます。観念して手を合わせ、ナイフでぷつんと皮膜を突く。色濃い黄身がつやりとした蛋白質の上を溶岩のように広がり落ち、固めに茹でられたブロッコリーに絡めて口へ運ぶと、歯ごたえと濃厚さの相乗で、じんわり幸福感が込み上げた。
チン、と軽快な音を立てたトーストには、最近ルチアさんから教えてもらった粒入りピーナツバターを塗りたくる。カロリー管理は大事だよ、と言いながらペロリと三枚平らげた彼女に唖然としたのを思い出して笑った。
「なんだよ気持ち悪い」
「あ、悪り、ちょっと思い出し笑い」
「思い出し笑いは変態だぞ」
メイスはジャケットを羽織り、もう出勤の準備ができているようだ。やばいぞ、まだ完食できていない。せっかくの食事を残すのも仕事に遅刻をするのもいけないので、わしわしと口の中へ掻き込んだ。
「おっはよーございまーす!」
「おはようございます!」
新入りは大声で挨拶をせねばならない、誰に言われた訳でもないがなんとなくそう思ったので続けている。本当はレミー先輩に不要だと言われてわかっているが、メイスも俺に付き合ってわざわざ大声を出してくれる。
あの後イグニス隊長は、行く当てのない俺たち三人に仕事を与えてくれた。レスキューの人たちはそれまでの無体な行いの一切に触れることなく、まるで昔からの仲間のように扱ってくれる。
それからもうすぐ一年が経つが、未だ有り難さとともに申し訳なさが同居した生活を送っている。
「あ、おはよ~こないだ旅行行ったんだ~、んでお土産。食べてねん」
コントロール室からルチアさんの高い声が聞こえて、テーブルを見るとすでに半分ほど隙間の空いたお菓子の箱がある。
「えっこれなんスか?」
「水羊羹って言うんだって。極東の島国では夏の風物詩らしいよ? 甘くて冷たくて美味しいの!」
ソファに座るアイナは、半透明な器に入った夜のように黒いそれをぱくりと頬張る。箱の中には他に、薄い黄金色の木の実が入った器もある。
「それはプラムだ。ちょっと酸っぱいがさっぱりして美味いぞ。あと食べてないのはふたりだけだから、全部食べてしまえ」
「えっまじすか!」
「そんな申し訳ない……。ありがとうございます」
レミー先輩に箱を寄せられ、俺とメイスは顔を見合わせる。水羊羹、梅ゼリー、それからこれは、あんみつというらしい。隣ではメイスが顎に手をやりふむふむと悩んでいた。
「三つか、メイスどれ食べる……」
「悩ましい…どれも初めて食べるな」
「一番美味いのどれかな」
「はーい、じゃあ冷蔵庫入れとくから後で食べてね、ほら訓練訓練!」
「そうだぞ今日は筋トレからだ!」
とりあげられた箱を恨めしそうに目で追うと、バリスの太い両腕でひょいと担ぎ上げられてしまった。
「ぎゃあっ! バリス降ろせよ! やめろっていつも言ってんだろ!」
「バッ、バリスやばい吐くから……!」
今日はとてもよく晴れた。屋上で仰向けになると青空に入道雲を一望し、背の高いこのビルの周りを遮るものは何もない。
筋トレ中、俺はあの三つの中からどれを選ぼうか、メイスはどれを選ぶのかを考えるので一生懸命だった。時たま隊長に喝を入れられ、真面目にやれとデコピンが飛び、かくして午前の訓練は終わった。
シャワーを終えた濡れメイスの頭をガシガシと乾かしていく。あ、白髪。と正直に言うと肘鉄を食らわされ、痛むみぞおちをさすりながらランチを目指して歩き出す。
店内はいつも混み合っている。しかし店の親父は俺たちを見つけるとすぐにいつもの席をキープしてくれて、手を広げるよりも大きなまぁるいピザをふたりで平らげると、いい食べっぷりだとジンジャーエールをサービスしてくれた。
縦長のグラスに大きな角氷が三つ、琥珀色の水面はパチパチと踊るように弾け、挿されたストローを無視してぐっと飲み干す。刺々しくスパイスの効いた喉越しに肩をすくめた。
「っくあー! わかってんなァ親父!」
「ふたりともいつも来てくれるからな、頑張れよ!」
「悪いな親父」
「ありがとなー!」
チャリンとお代を置き店を出ると、親父と黒髪の青年は笑顔で手を振った。
帰路、いつもと違う道を通ろうとメイスに持ちかけられついていくと、急に、待て、と飼い犬のような扱いで裾を引かれる。
その先の裏路地、狭くて暗い道を進むと未開拓の通りへ出た。ぐいぐいと手を引かれ、これじゃ本当に飼い犬だなと、好奇心で面白い気持ちになる。ふと、メイスは一軒の建物の前で立ち止まった。
「ここだ、よっしゃ今日は開いてる」
「なに?」
高いビル群の隙間に、生まれた世界を間違えたかのようなロココ調のハウスがこじんまりと建っている。
「なに屋?」
「聞いて驚けシュークリームだ!」
「帰ったら島国のスイーツがあるんだぞ?」
不摂生だと言っても自信満々に彼は言い返してくる。
「お前はハライタが怖いかも知れんが俺は大人だからな、この程度じゃ腹は壊さん」
「んだと俺だってこれくらい平気だって! 行くぞ!」
ドアベルが鳴り甘い匂いに包まれる。外観からも想像はついたが店内もロココで統一されて、薄桃色のパステルな家具の合間を縫うように数人の女性客が雑談をしている。少しだけ後退りすると、チラチラと視線が痛く感じる。
つんとメイスの服の裾を掴み耳打ちをする。
「メイス悪りぃ俺出る……」
「え、なんで? 選べよ土産にするんだから」
「いやだってなんかすっげー場違いじゃね?」
「ほぉー、照れてんのか。じゃあ俺の後ろに隠れてろよワンコちゃん?」
「むっ…かつく……!」
にやりと意地悪く笑うメイスは、俺のことはお構いなしにショーケースの中身を選んでいく。今は私服だしお前は髪が長いから紛れられるかもしれないがな、俺はかっこいいから浮くんだよ! そう言いたいのをぐっと堪え、しぶしぶ隣にならう。
「なんだ? これ」
「これは……カヌレかな」
ああでもないこうでもないと言いながら、メイスはアーモンドだメレンゲだといろんな単語を並べて説明してくれる。ふと肩から流れた髪で横顔が見えなくなって、無意識に体を乗り出した。ロイヤルブルーの瞳が窓ガラスに反射する。
「どうした?」
「え、ああっいや、これは?」
「ああ、これが一番人気のシュークリームだ。やっぱりこれにしようかな」
メイスは機嫌がいいらしい、今日は奢りだと言ってレジを済ませた。
「えーっ! オランジュのシュークリーム⁉︎ すごーい! あそこいっつも混んでるでしょ? 並んだの?」
「いや、丁度空いてる時間だったみたいです」
「たーんと食べてくれよ!」
「俺が買ったんだろ? ゲーラは指くわえて後ろで見てただけだ」
「くわえてはねぇから!」
本部へ出かけていたイグニス隊長も帰ってきて、当たり前のようにその隣にレミー先輩が座る。ボスはアイナの隣でおしぼりを受け取り、みんなでひとつずつ手に取った。さてどう食べよう。両手で持つとずっしりとクリームの重さを感じて、わくわくが止まらない。
火山をイメージしたという少し背の高いシュー生地に、バニラビーンズたっぷりの濃厚カスタードクリームが入っている。火口の窪みから半分に割ると、クリームが盛り上がってまさしくマグマのようにとろけ出す。
「やっべ」
こぼれる! と思い割れ目にパクリと食いつきクリームをすする。お行儀悪いとアイナが騒ぐけどそんなこと言っちゃいられない。
バニラビーンズがふわりと香って、きめ細やかに舌の上に滑り込んだそれは俺には初めての経験だった。ほんの少しのまとまりを舌で押しつぶし、頰の内側の隅々で味わうと、メイスがこちらを見ているのに気づいた。
「はは、リスかよ」
「ほーんと、頬袋いっぱいね~」
眉尻を下げた柔らかい瞳を久しぶりに見た気がする。美味しいものを食べるって、幸せなんだな。
「………美味くて、つい」
はっとして口を離すとまた笑われた。
「ゲーラ、クリームついてる」
腹を抱えて笑うメイスにムッとしながら口の端のクリームを舐めとると、またそこにも幸せがあった。
「はいはい、食べた食べた。メイスも早く食わねぇと俺が食っちまうぞ!」
「お、いい度胸だ」
俺から逃げながらもメイスは上手に食べ進めていき、最後に指についたのをちゅぱ、と舐めとってから、美味かった、とため息をついた。
一日が終わり、極東のデザートは結局家まで持ち帰ることになった。さて夕飯はどうしようかと冷蔵庫を眺めてみると、見慣れない塊がある。
「今日の夕飯はこれだ」
メイスがすっと取り出して、俺がやるからとリビングへ戻される。仕方なしにソファで寝転がっていると、チチチ、とコンロが力を貯め、空気の芯が燃える音がする。
待ちきれず背中越しにフライパンを見ると魚らしい。一尾丸ごとが油の中で踊らされ、ひやひやしながら目の前の細い腰を抱き寄せると、危ねぇぞ、と強めに叱られた。じっと横顔を見つめる。それに気付いた彼はくるりと振り返り微笑む。
「なんだよタレ目」
それはまぁ、知ってるけど。黙ったまま首筋に頬を寄せると、彼はフライパンに視線を戻しトマトを所望する。ヘタのついたミニトマト、それからあさりも。あさりは砂抜きを事前にしていたようで、ざぶざぶと殻同士を擦り洗いざるにあける。その隙にメイスは戸棚の奥から白ワインを取り出し、俺にコルク抜きと共に差し出した。
「まつげ、仕事だ」
「……まつげ?」
困惑しながらも開けてやると、さんきゅ、と頭を撫でられた。ミニトマトのヘタを取り、輪切りにしたズッキーニを投入してくつくつと煮込む。お待ちかねのあさりの口が開き、よし、と皿に盛る。
「今日やけに豪華だなぁ」
「お前、今日がなんの日か忘れてるだろ」
突然そう言われて頭の中にはてなマークが浮かぶ。え、なんだ? まじでわからねぇ。
食卓の上には三組の食器とワイングラス。アクアパッツァを取り分けて、いつの間に準備したのかシャンメリーも上がっていた。メイスは髪を結いながら、最後の仕上げと、小さな花瓶を取り出す。
「今日はな、俺たちがバーニングレスキューに拾われて一年の記念日だ」
その時、ビィ、とチャイムが鳴った。出ていくとボスが一人で立っていた。
「ゲーラ!」
「えっボスどうしたんすか?」
にこにこと勿体ぶったままのボスは、背中の後ろから袋を取り出す。
「土産だ、三人で食べよう」
中には先日アイナがお勧めしていたパン屋のバケットと、小ぶりのくるみパンが三つ詰め込まれていた。
「ゲーラは忘れてるみたいだから黙ってたんだが、まんまと驚いてるな」
「してやったりですね」
二人はにこにこと卓へ着き、俺はぽかんとしたまま袋と二人を交互に見る。
「ほら、ゲーラ、乾杯だ」
ボスがシャンメリーを注いだグラスを高々と持ち上げる。はっとして近寄ると、頑張ったなと髪を撫でられる。
「うわ、完全に忘れてた……」
「お前へのドッキリパーティーだってボスが言うから黙ってたけど、大概だったな」
「明日は休みだ。ゆっくりしよう、お前たち」
ほら、とグラスに注がれたワインで乾杯し、腹一杯ご馳走を堪能する。それから夜食のデザートに、三人で食べる極東のスイーツは格別だった。
あとがき
驚纏動地2開催おめでとうございます。この度スペースをいただきまして初の本を頒布させていただきましためめもりと申します。無配を手に取ってくださった皆様、新刊を購入いただいた皆様へ、遅ればせながらあとがきにて感謝申し上げます。
奥付
発行日・2020/2/16
サークル名・金平糖
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