一、君の炎と僕の炎
マイアミは、小さな火山の中で生まれた。地下深く、熱い体を横たえたまま、ゆっくりと目を覚ます。真っ赤な視界の先に噴火口が見える。真ん中の白い光が、外だ。そこから出れば、自分はこの世に生まれるんだ。
おもむろに起き上がると、マグマがざわりと流動する。細い腕がゆらりと揺れて、炎が堆積していくのがわかる。マイアミは、生きるということが何かまだわからない。ただ自分が存在して、どうして自分がここにいるか。その理由だけはわかっていた。
マイアミは長命だった。年を重ねるごとに年輪を刻むように大きく成長し、その炎も比例して強くなった。日に日に大きくなる体を見回して、ふと遠くを見つめる。
これからどこに行こう。頭上には火口へ向かう白い光がパチパチと火柱をあげて、見渡すと岩肌は荒々しくうねりを生んでいる。よし、まずはあそこへ行こうか。そう思ってマイアミはゆっくりその壁に向かって手を伸ばした。
生まれたばかりのマイアミは外の世界を初めて見て、なんと美しい世界だろうと感嘆した。緑色の湖と青い空、白い日光に、自分の目が黒々と輝くのを感じた。ゆっくりまぶたを閉じ、日の光の暖かさを感じる。ああ、暖かい。きっとこれからの人生、とても素晴らしいことがあるに違いない。そう信じて、マイアミは意気揚々と火山の麓へ降りて行った。
炎たちの住む星は、ずっとずっと遠くにある。彼らは自分たちの住む星を知らず、他の星の存在も知らない。ただ炎として生き、その燃焼本能の赴くままに自らを燃やし続けた。
マイアミは争いを好まなかった。喧嘩は痛いし口論は心が傷つく。力比べである炎合戦はよく相手の体を傷つけてしまうので、彼はあまり得意ではないと感じていた。
彼の中には空があった。あたたかな太陽の下でまどろみ、命の火をふつふつと燃やすことがなにより好きだった。燃焼本能はそれなりにあるが、周りのように激しく燃え盛りたいとは思わず、次第に炎らしからぬ温厚な性格を揶揄されることが多くなった。しかし降り注ぐ暴言の意味を理解できない彼を、他の炎たちはだんだん気味悪がり、嫌悪する。孤立した彼は、とうとう村を出ていくことになった。
マイアミは大いに悲しんだ。だって、あんなにも美しいと思っていた世界が仲間の炎によって覆されて、泥のように濁って見えてしまうんだから。心がぎゅっと締め付けられて、大きく息を吸うと心臓がずきずきと痛む。彼はいてもたってもいられなくなり、湖のほとりまで飛んで行った。
彼の体は生まれた頃と比べ、年輪を刻むように大きくなっていた。
ダラスはそんな中、水辺のほとりで生まれた。神様は彼に考える力を与えた。しかしその力は生後間もない彼には非常に手に余るもので、頭ではわかっていても周囲にうまく自分の考えを伝えることができず、苛立ってしまうことが多かった。
君はめっぽう短気だと、他の炎によく言われた。そんなことわかってる、けど、直したくても上手くいかねぇんだ。
ダラスは憤慨した。しかしどんな言葉も所詮は言い訳。周りは彼を口先ばかりだと罵り、いつしか信用しなくなった。
ダラスは一人になるために、事あるごとに自分が生まれた水辺へ足を運ぶ。ちゃぽんと足先を浸けると波紋が広がる。彼は鋭い爪先でじゃぶじゃぶと遊びながら真剣に考えた。俺は間違ったことはしていないはずだ、なぜなら俺には考える力があるから。要は伝え方の問題で、それが世を渡り歩くには一番肝心なことだ。そこまではわかる。しかしどうやって伝えればいいか、まったく具体案が出ない。生地をこね回すことは出来てもいつも発酵で失敗して、焼いても綺麗に膨らまない。堅くて味気のないパンを、もさもさ言いながら甘いミルクで流し込むばかりだった。
ここ数日、水辺でよく鉢合わせる炎があった。炎としてはありきたりな黒い体をしたそれは、ここへ来るといつも必ず顔を水面に映す。額にある細い角と、側頭の二本の角を綺麗に整えて、水際に座るとざぶんと矢尻のような脚を勢いよく水の中に沈めていた。
「あんたかっこいいね」
つい、口走ってしまった。ダラスは軽口を閉じ込めようと口を塞ぐがもう遅い。冷や汗をかいて気まずそうに自分を見入るダラスに、三本角は一瞬きょとんとして、すぐにありがとうと笑った。
「君もかっこいいじゃないか、その角。すごく温度が高そうだ」
彼はデトロイトといい、熱を持った足先を冷やすためにここへ来ていると言う。ダラスはまさか自分の短い青い角を褒められるとは思ってもよらず、身振り手振りで声を裏返しながら彼の三本角をさらに褒めた。デトロイトは初めて会ったダラスにも親身に接してくれ、にこにこしながら言う。
「大事なのは数じゃない。自分がいかにそれを大切にしてるかってことだ」
体が小さいことから年若い炎だろう。しかし血気盛んな自分と違い物腰は柔らかで、言葉の奥行きが豊かだった。彼はすぐにデトロイトに懐きいろんなことを話した。デトロイトは、彼の話を根気よく聞き、相槌を打ち、優しく返答してくれた。それがとても嬉しくて、いつしか兄弟と呼ぶようになった。
「兄貴は言い過ぎじゃないか?」
「いえ、あんたは俺にとっちゃすげーやつだから、兄貴です!」
それはありがたいなとデトロイトは笑い、そろそろ発つと言う。ダラスはがばりと立ち上がり、尋ねる。
「どこへ行くんです? 俺も行きたい!」
不安そうなその言葉に、デトロイトは遠くを見ながら言った。水辺は森に囲まれている。木々も、鳥も、皆同じように生きている。
「少し旅をしようと思うんだ。他の星に行けるかもしれないって、みんな言ってたろ」
それは先日洞窟の奥に開いた磁界の歪みのことだ。理由はわからないがある日突然できたもので、研究者たちはこぞってその謎を解明しようと息巻いている。
「ああ、あの次元断裂ですか? あれって本当に行けるんすかね」
さあねぇ、とデトロイトは水面を穴が開くほど見つめ、奥のキラキラした瞳を真っ黒にして続けた。
「行けるかどうかはわからないが、僕は行ってみたい。ここじゃない、新しい世界が本当にあるなら体験してみたいんだ」
ふぅん、とダラスは乾いた返事をし、その後の彼の言葉を上の空で聞きながら考えた。
デトロイトの兄貴が他の星に行っちまったら、もう会えないかもしれないな。俺も行こうかな。でもどんな星かわからないなんて怖いし、何かあったらどうすんだろう?
ダラスは急に心配になった。目の前で仁王立ちしているデトロイトの突拍子もない提案に、ほんの少し怖気付いている自分がいた。
「……兄貴、怖くねぇの?」
「怖いさ、でもそれ以上にワクワクしてる」
デトロイトの表情は明るい。
次元断裂の研究は数年の間にみる間に進み、その向こうに他の星が、酸素があることもわかっており、よって生命体がいるだろう。自分たちのような炎なのか、水なのか、別のものなのかは解明の途中だったが、それなりに知能はあるらしいと先日発表があった。
「その生命体と話がしたいんだ。どんな暮らしをしてるんだろうな。言葉が通じるかはわからないが、きっとやれる気がする」
「漠然としてますね」
冒険はそうでなくちゃな。からりと笑った横顔に、ダラスは決意した。
来週発とう。そう約束して二人は別れた。
ダラスはもう少し遊んでいこうと、水の中に沈んでいく。この水辺の水は冷たい。どれだけ体温を上げても、炎を出しても、沸騰することはない。のろのろと水の抵抗に逆らいながら角のてっぺんまで浸すと、心臓の音がゆっくり聞こえる。それを無心で聞き、肌を刺す冷たさに窘められて、過去の自分を後悔する。
彼は、頭が混乱したり怒りに支配されそうな時、ここへ飛び込むことにしている。自分の能力を持て余している彼は、懸命になればなるほど空回り、自分の不甲斐なさに泣いてしまいそうになる。それが一過性の感情であることをよく分かって、一刻も早く冷静さを取り戻そうと努力していた。
静かだ。自分の炎の灯火と、それをとっぷりと飲み込む水の音しか聞こえない。冷たさの中でゆっくり目を開けて、青色の世界を見る。空と同じに透き通ったその向こうに、答えがある気がする。
決意はした。行くんだ。しかし俺は、ここが無くなってやっていけるかな。
怒りや後悔の先になにがあるか、ダラスは身をもって知っていた。愚かな自分に対する絶望も、制御することの難しさも、この水辺に来れば和らぎ安心できた。心の拠り所をなくして、自分自身が壊れて行くかもしれないのがこわい。ダラスはしばらく水の中に沈んだまま、ゆらゆらとまどろんでいた。
ダラスの額の一本角が水面から飛び出ているのを見つけたマイアミは、首を傾げて近くの切り株に座りこんだ。
あれはなんだろう、角にも見えるし、シラカバの木の枝かもしれない。波に乗って揺れているけど、あれは長くて強そうだ。そう考えながら枝の正体を考えていると、突然、その木の枝が鮫の尾ひれのように、虎視眈々とこちらへ向かってきた。しかしここは海じゃない。鮫ではないなとマイアミは落ち着いてその様子を見守った。すると水の中から出てきたのは、自分と同じような装甲の炎だった。
「あ」
二つの炎は初めて出会ったが、ダラスは、マイアミの存在を知っていた。いつも牛みたいにぼーっとして、覇気のない、つまらない炎だと思っていた。あまり関わらない方がいいとも聞かされており、視界に入れば避けるようにしていた。
そのマイアミが今、目の前で、間抜けな顔で自分を見ている。
「……なんだよ」
「あ、うん」
早くも会話が成り立たず、ダラスは眉間にシワを寄せた。無視してここから離れようと足を踏み出すと、目の前のとんまが声をひっくり返しながら喚いてくる。
「あっあ、……あの、その、つの……って」
「あ? なんだよ一本で悪りぃか」
びくりと肩をすくめて、マイアミは俯いてしまった。
しまった、さっき冷ましたばかりなのにいらだってはいけない。ダラスはやり直しだ、とマイアミをじっと見つめ、次の言葉を待つ。マイアミは他人と顔を合わせることがほとんどなかったので、しどろもどろに目を泳がせ、蚊の鳴くような声で鳴く。
「えっ、と……そうじゃなくて…。つ、つのが、凄く、強そうだなぁ……って」
「そりゃどうも、自慢なんだよ」
平静を装いながらさらりと返す。マイアミはぱっと顔を上げて、そうなんだ、と笑う。
「あんた喋れるんだ。知らなかった」
なんと失礼な物言いかと、ダラスははっとして口をつぐんだ。けれどマイアミはさっきよりもさらに目を丸くして、嬉しそうに口をぱくぱくしている。きっとなんと言おうか悩んでいるんだろう。しばらく無言が続き、ようやくマイアミが声を発した時、ダラスはすでに彼の隣に腰を下ろしていた。
「俺、あんまりみんなに好かれなくて……。頭回らなくて迷惑かけるから、その……大人しくしとこうと思って」
「ふーん、まぁ知ってるけど」
お前、とんまで有名だからなぁ。ダラスが乾いた笑いを零すと、照れたように笑い返してくる。褒めてねぇよと教えてやっても、マイアミは未だ口元を緩め、両手をこすりこすり嬉しそうにしてやまない。
本当に友達いないんだな。ダラスは途端にどうでもよくなり帰ろうと立ち上がると、マイアミは悲しそうに見上げてくる。言いたいことがあるなら言えと睨みつけると、また長時間の無言の後で、明日もいるかと尋ねられた。まぁ、いてやってもいいかな。そう思いつつ、口では、さぁ、と言い捨てた。
一週間後、三つの炎はお互いが出会った水辺のほとりに集合した。よく晴れた日で、旅に出るにはもってこいだとデトロイトは空を見上げる。ダラスとは一度話したきりだったが互いにきちんと覚えていて、二つは肩を抱き寄せ合った。
「友達を連れてきたのか」
ダラスの後ろでモジモジしているマイアミに気づいたデトロイトは、すぐさまよそ行きの顔を作り直す。マイアミは自分よりもかなり年若い、小さなデトロイトに対して、その大きな体を伸ばし大きな声で挨拶をした。
「そうです! よろしくお願いします!」
「ちっっっげーよ!」
「よろしく、楽しくなるな」
次元断裂は山奥の洞窟の中にあった。洞窟の入り口周辺にはさながら観光スポットのように他の炎たちががやがやたむろして、中へ入って受付を通過すると、いくつか炎が入れるくらいの立方体の膜が浮いている。案内係は笑顔を崩さず、この中に入って他の星へ行くと言い、三つの炎はそれぞれ、未知の世界に鼓動が高鳴るのを感じた。
次元断裂の中はとても穏やかだった。乗り込んだ立方体の中は空気がこもって重たく、手で空を掻くと、空気が生ぬるくもやもやして具合が悪くなりそうだ。最初のうちはマイアミもデトロイトも、物珍しげに膜に触れ意外と柔らかな感触を面白がっていたが、すぐに飽きてだらだらと過ごしている。
立方体は無音のままエスカレーターのように直線を進み、しばらくするとエレベーターのように垂直に進んだ。
「どれくらいかかるんだろ」
「計算上は二週間くらいらしい」
ダラスとマイアミはもっと早くつくと思っていたので、あまりの驚きに目を丸くした。二週間もこの空気の中で過ごすのかとすでに気が滅入っているダラスを尻目に、マイアミは、なにかおもちゃ持ってきた? とへこたれない。
「お前ね、そんな荷物になるようなもん何個もねぇからな?」
管を巻きながらダラスが懐からトランプを取り出した。しかしババ抜きではマイアミがババを引くとすぐに分かるので終わってしまい、神経衰弱はダラスの一人勝ち。七並べはそう何回もする遊びではなく、イライラしたダラスが結局燃やしてしまった。
「あーっ! 耐えらんねぇ! 兄貴あとどれくらい!?」
「まぁそう怒るな。もう少しで太陽系へのワープゲートがあるはずだ」
「そーだそーだ」
調子に乗って冷やかすマイアミをダラスが締め上げたところで、三つの炎が乗り込んだ膜は轟音とともにスピードを上げて大きく揺れた。突然のワープに皆はごろごろとひっくり返り、頭や背中を盛大に打ちつけてしまう。下の方では皆の下敷きになったダラスがまた吠えている。しかし膜の外の景色に気付くと、マイアミと共に床にへばりつくようにして外の景色に歓声をあげた。
外は宇宙だった。彼らは太陽系へ初めて来たが、太陽系についても、乗車前の案内係によって教えられた程度の知識しかない。景色は上も下もない真っ暗な世界で、おちこちにごろごろとした大きな岩の塊が散乱し、物凄いスピードで通り過ぎていく。マイアミはぶつかりはしないかとデトロイトの後ろに隠れるが、ちゃんと計算されているから大丈夫だと励ましてもらっている。
少し視線を遠くへやり、満天の星を見る。キラキラと瞬いて、水面の反射のようだとダラスはつい見とれてしまう。皆で四方をぐるぐる見回っていると、マイアミは床下にひとつの大きな星を見つけた。
「兄貴見て! すっごい明るい星がある! あれじゃねぇかな?」
「おお、確かに凄いな。なんて星だろう」
それは他とは比べ物にならない大きさの、真っ赤に光る星だった。赤みは時たま波のようにうねり、近付くものをすべて飲み込んでしまう凄みがあった。
「なんかモヤモヤしてねぇ? 髭みたいのがふわふわしてる」
「しかも熱い! もしかして燃えてんのかな。じゃあ本当に俺たちみたいじゃない?」
「まじだ、すごく熱い! 兄貴、あれだってあれ! あっち行きましょう!」
しかし残念ながら目的地はあれではないらしい。無情にも遠ざかる火の玉との別れを惜しみながら、ダラスとマイアミは融通がきかないとぶつぶつ文句を垂れる。
またしばらく進むと、雲の浮かぶ青い星が見えてきた。立方体の進路はそれに伸びていて、ようやく着くかと身を乗り出す。
「すごいな、本当に空気があるんだ……」
デトロイトは身を乗り出して、その星に住む生命に想いを馳せた。彼らは一体どんな生活をして、どんな能力を持っているのか。想像してもし足りなくて、早く見たいと胸が高鳴る。立方体はプラズマを発生させながらガタガタと揺れ、大気圏へ入るとまもなくまだらになった地表が見えた。
ダラスは他の星の地表を目の当たりにして、生まれ故郷の水辺に似ていることに内心感嘆した。しかし素直じゃない彼は、大したところじゃねぇなと悪態をつく。そうしている間にも立方体はどんどん地面へ近づいて、雲の下には赤土の荒野が広がっていた。
「さ、寒い!」
「何にもねぇとこだな」
「おかしいな、噂ではもう少し文明があるはずなのに」
気温はかなり低いようだった。近くまで来ると、自分たちの暮らす星と同じように地面と空気、空がある。しかし研究者がいうような文明や、知能のある生物などはまるで見えなかった。
「場所が悪いんじゃない? あっちがいいと思う」
マイアミがすっと遠くを指差し、ほかの二つは言われるまま視線を向ける。それはどうやら雨雲のようで、深緑色の地面の上でパリパリと稲妻を走らせている。
「行ってみよう、何かいるかもしれない」
デトロイトの一言で、ダラスが自慢の足で立方体の膜をぱちんと割る。するとすぐさま、雷雲の方から突風が三つを煽った。ざわりと弾丸のように吹き荒れたそれに、三つの炎は慌ててお互いにしがみつく。間一髪はぐれずに済んだが、マイアミは驚きすぎてダラスの足をへこませてしまった。
「てめぇ! 力強すぎんだよ!」
「ああっごめんでも今離したら飛んでく無理っ」
すかさずデトロイトがマイアミを引き上げて、怖かったろうと撫でてやる。兄貴にべったりすんじゃねぇ! とダラスが金切り声で叫んでいるが、風に煽られたままでは他の二つの炎にはなにも聞こえなかった。
風に流されているうち、炎たちはあることに気付いた。普段なら好きな時に好きなだけ放出できる炎が、今はまったく言うことを聞かない。これでは舵も取れないとデトロイトが通り過ぎる雲をぽこんと殴りつけたが、水蒸気の塊は腕の形に裂けるだけで、手応えがまるでなかった。
ものを燃やすことは彼らにとって新陳代謝を促すための重要な仕事だ。燃焼本能を満たしてやらなければ、体はみるみる重くなってしまう。
この星で発火出来ないとなると、先に着いた他の炎たちはどうしているんだろうか。赤土の上に降り立った炎たちは、作戦会議を開くことにした。
ダラスがあぐらの爪先を抱え、体を揺らしながら言う。
「燃やせないのは困る。燃やし甲斐がありそうな物はたくさんあるのに、なんでだ?」
マイアミはその隣に大きな体でちょこんと正座し、なにを言っているかまったく分からないという風に首を傾げ、デトロイトをじっと見ている。彼がつるつるした丸い石に大股で腰かけ、顎に手をやり考えているのを真似しながら答えを出してくれるのを待っていた。
「うん、ここのものはあんまり触れたり出来ないようだ。なにかに触れるようにならないと燃やせないかも知れないな」
「どうやったら触れるんだろう」
しかしこのマイアミの素朴な疑問に、皆口を閉ざしてしまった。それがわかれば苦労はしない。この広い世界で、話のわかる他の炎を見つけるのも至難の技ではないだろうか。
「ともかく、手当たり次第に触ってみよう」
デトロイトは立ち上がる。
予想に反して、その辺の石ころや木には問題なく触れてしまった。しかし炎は出すことは出来ず、にっちもさっちもいかない状況にマイアミは駄々をこねはじめる。
「燃やせないとお腹痛くなっちゃう!」
「じゃあお前もなんか考えろよ」
そう言われてマイアミは、ダラスに肘でつつかれながら弱い頭を一生懸命に働かせる。
炎をあげるにはまず大きく息を吸って、少しばかり集中して、ここだ、と思うところ目掛けて念を送ることが必要だ。しかしその念を送るところはいつも勘で決めているので、マイアミはやはり口で説明することは出来なかった。
「だめですね」
「諦めんな!」
「仕方ない、今度はあっちの針山まで行ってみようか」
デトロイトが指差した方には、灰色の高い建物が何千と整列していた。近寄ってみるとビル風が強く飛んで行くのも大変だ。体の小さなデトロイトはマイアミに抱えられるようにして見物した。
建物の隙間に一本の広い道がある。そこから四方を眺めると、西の方にひとつの炎を見つけた。三つの炎は喜び勇んで話しかけようとするが、相手の炎はこちらに目もくれず、ふわふわと何かを探すように飛び回る。無視されたことに少しばかり傷つきながら見守っていると、それはくるりと勢いよく振り返り、真下にいた生き物めがけて体当たりをした。
バチンと大きな音を立てて破裂音がし、あっという間にその生き物は爆発した。
「すごーい」
「おおー! 燃えた燃えた」
「なるほどああやって生き物に取り憑けばいいのか」
炎に取り憑かれた生き物は吹き上がる炎に操られるかのように、尾を振り乱しながら燃え盛る。しばらくしてどこからか揃いの格好をした生き物たちに地面に押さえつけられる。
それでも蛍光色の炎の勢いは止まない。炎を上げた生き物はしばらくすると、手足を水色の塊でくっつけられて何処かへ運ばれていった。
「……連れてかれたな」
「あれやばいやつ?」
「ちょっと……ついて行ってみようか」
生き物をのせた黒いものは空を飛んで行ってしまう。空を飛べるなら仲間ではないかとダラスは嬉々として指をさすが、それは振り返ることなく延々飛び続ける。仲間かもしれない、仲間じゃないかもしれない。その不安が三つの炎の体力を奪っていき、三つはみるみる高度を下げて行った。マイアミが癇癪を起こしたように言う。
「もー、無理!」
「し、しか、ハァ、仕方がない。このくらいに、ふぅ、しておいてやろうか」
「兄貴がやばい、休みましょう」
仕方なく三つは木陰で休むことにした。
「ところでこの星ってどうなってるんすかね」
「さあ、少なくとも僕たちとは違う生態系であることは間違いないな。寄生しないといけないということは、この星の生き物は元々は炎は持っていないんだろう」
あれから数日を過ごした。この星は地球といい、ここは街という場所らしい。人間は自分たちのことを良く思っておらず、宿主のことをバーニッシュと呼び恐れていることがわかった。デトロイトは共存ができるのではないかとワクワクしていたので、その事実を受け入れるまでにずいぶんと時間を要した。
バーニッシュになった人間は隔離され、それからどうなるのか、それはまだわからない。わかったことは、今のままでは共存はおろか、自分たちのせいで地球が破滅に向かってしまう可能性もあるということだった。
二、ラストダンス
三つの炎が地球にやってきてから、早数ヶ月が経とうとしていた。地球上の人間が自分たちの炎によって民族紛争を起こしていることを知った彼らは、罪悪感から適当な宿主を見つけることができず、もやもやとした日々を過ごしている。燃焼してストレスを発散することが出来ずになんとなく体が重い。これでは健康が、末には命が危ないと、三つの炎は観念して立ち上がった。
人間がバーニッシュになったらどうなるのか、ようやくわかるようになってきた。目的は不明だが一箇所に集められ、なにやら実験と称したことを行っているらしい。
その模様は炎たちも見たことがあったが、大きな機械に人間は縛られ、バーニッシュの炎と分離されるというもので、その光景はおぞましいの一言しか出てこない。マイアミに至っては恐怖で吐き戻してしまったくらいだ。
ダラスが舞い降りたのは、灰色の空と長方形の建物が並ぶ街中だった。殺伐とした風景の真ん中にドーム型の屋根を見つけゆっくりと高度を下げる。恐る恐る足先をつけると、それはこつん、と透明に光る。体を折り曲げ覗き込むと反射した自分と空が見えた。最初は水かと思ったが、耳につくきゅ、きゅ、という音が響くことから違うと判断し、残念がる。何がなんだかわからないが固形物だったらしい。それならばと腰を下ろすと、そのままつるりと滑り落ちた。
「のわっ!」
油断したのかドームの一番下まで落ちてしまったらしい。ダラスは焦って飛び起き周りを見渡すが、ほかの炎はいないらしく、胸を撫で下ろす。
「あーびっくりした、ンだよ危ねえな」
痛む尻を押さえながら、気を取り直してさっそく中を覗き込む。するとずっと下の方で小さな人間がざわざわと蠢いている。虫のように細々としたそれは大量に、およそ一定の速さでその中を通過して行く。何分かに一度、その量がどっと増えて、大きな音が鳴ると、それに合わせて人間たちのスピードが速くなる。
あれが全部この星の生き物なんだ。兄貴はあれと話してみたいっていうけど、そんなこと出来るんだろうか。
ダラスは不安げに考えた。デトロイトが選んだのはまだ胎児だった。まだマイアミの小指ほどの大きさしかなく母親のお腹も膨らみ出したばかりだったが、兄貴はひと目その母を見て「この子がいい」と決めた。
ダラスもその場にいたが、彼はその子が本当にデトロイトに相応しいか見当がつかなかった。確かに女性の腹の中にいる子は目つきの凛々しい、美しい子だった。しかし中身もそのように育つとは限らない。ダラスが訝しんでいる様子はデトロイトにはすぐにバレて、けど生まれてみないとわからんな。と笑った。
「ま、良いんじゃないっすか? 凛々しそうで」
デトロイトはそれを聞いて嬉しそうだ。
それがほんの数週間前だ。しかしあの腹から子が生まれ、デトロイトの兄貴が共鳴したなら、俺はその子を守らなきゃいけない。どんな敵が来ても、連れて行かれそうになっても守る。それが出来る奴を選ばなくては。ダラスはそう決意して、街へやってきた。
ぼうっと人の波が規則的に流れていくのを見ていると、ひとつだけおかしな動きをしているものがある。大抵真っ直ぐ進んでいく中で、その少年は神経質そうにきょろきょろとしながらふらついていた。
ダラスは透明の屋根を通過し、音もなく彼の元へ降りた。青みを帯びた黒い髪の奥のつり目が、小さな紙切れを凝視している。身長はダラスよりも低いようで、ともすればデトロイトと同じくらいだろうか。
なんだ、まだガキじゃねえか。兄貴のお供にするには力及ばないだろう。つまらねぇなとまた浮上しようとすると、少年がぱっと頭を上げた。ダラスは一瞬目が合ったかと思いドキリとしたが、彼の視線は向こうにある電光掲示板に注がれていただけだった。
少年の目は冷たそうに透き通って、小さな瞳は光に反射して深い青色をしていた。それがくるりと色を変えると、ダラスはそれに、生まれ故郷の水辺を思い出した。
この中なら、怖くないかもしれない。
「……あれだな、兄貴んとこが成長したら俺んとこも歳取るんだから、これくらいがいいのかもなぁ」
しかしそれだけで共鳴するには無理がある。少年が自分を宿すのに相応しい器かどうか、この目できちんと見極めなければならない。ダラスは少年の指先にぱちんと火花を散らし、しるしを付けた。そしてその足でデトロイトの元へ飛んでいった。
デトロイトは将来宿主となる子の母親の元で昼寝をしていた。生まれるにはまだ時間がかかるから、まだしばらくは独り身の生活を楽しむという。
「それはいいですけど体大丈夫っすか?」
「僕は体は丈夫だから、今のところは問題ないさ。それよりその少年はどうだ?」
微妙。とぶっきらぼうにダラスが呟いたので、デトロイトは大きな口を開けて笑う。違うやつにすればいいじゃないかともっともな事を言ってみたが、ダラスはそれもしっくり来ないらしい。
「上手く言えないけど、ここをもっとこうしたらいいんだけどなー、って感じで。ちょっと足りねぇけど概ね正解みたいな。大きく切り離して暫定一位っていう」
「あは、それはもう決まったようなものだろ」
「そうなんですよねー」
「どれ、その少年を僕も見てみたいな」
兄貴が言うならと後日二つの炎は少年の元へ飛んだ。少年の住む青い屋根の上から見ると、彼は部屋の中で机に向かい、カリカリとペンを走らせて、時たまため息をついている。デトロイトが不思議そうに首を傾げると、ダラスが知ったような口ぶりで言った。
「最近ずっとこうなんですよ。母親に言われて」
少年の名はメイスと言うらしい。学校から帰るとすぐさま分厚い本を開いて勉強に精を出している。勉強の途中、たまに音読をするのでダラスはその本の内容が理解出来るようになったが、当のメイスには難しいようだった。
「頭が悪い」
「そんなこと言ってやるな。頑張ってるんじゃないか」
「まぁそうっすけど。でも兄貴んとこが子供だから、もっとちゃんとしたやつの方がいい気がするんですよね」
「僕のところも芯が太いからどうにかなる。君の宿主だ、君の好きなやつにすればいい」
好きなやつと言われてもな。ダラスがため息をつくとメイスの指先がパチパチ震える。静電気だと思い手を揉み込むが、なかなか消えてくれない。神経質なメイスは最近自分だけが静電気の頻度が多いことを気にかけていたが、まさかバーニッシュになる予兆であるなんてことは気付きもしない。
メイスは手の痺れを取るために、席を立ってリビングへ向かった。
「ほら、共鳴しかけてるじゃないか」
「あーあれは、しるし付けたら外せなくなっちまったんですよ。まったくもう」
「僕も彼がいい。君が彼を育てればなんの問題もない。是非そうしないか?」
「えー」
しょうがねぇな。ダラスはまたため息をつく。
リビングから絹を裂くような叫び声が聞こえた。瞬く間にリビングは火の海になり、それに合わせてダラスの体温が上がっていく。目をつぶると、まぶたの裏にメイスが蒼白した顔で立ちすくむのが見える。ダラスはいい調子だとほくそ笑み、メイスの恐怖と呼応するように、燃やせ、燃やせと力を送り込む。鼓動が高鳴る。メイスは意外と力が強いらしい。尖った爪の先まで力が漲るようだ。
「あぁ、来たぜ来たぜ! やっぱ兄貴の言う通りにして正解だったなァ!」
「はは、調子がいいなぁ」
これで決まりだなと笑って、デトロイトは帰って行った。
メイスは覚醒した日から、日中に外に出ることをためらった。いや、出ることができなかった。家族は一命を取り留めたが住んでいた家は半焼、火災の原因がバーニッシュに覚醒したことだと知られれば、その後一切の自由を剥奪されてしまうことは目に見えていた。
母はメイスに、少しばかり炎を我慢するよう教え、どうしても上手くいかない時は夜中に海で発散するよう躾けた。
ダラスは地球に来て初めて海に触れた。生まれ故郷とは違って塩辛いのが気に入らなかったがそれもすぐに慣れた。海へ行きたいばっかりに、メイスの燃焼本能をくすぐるようないたずらもしていた。次第にメイスは精神を消耗していった。燃やしたいのに燃やせない。震えながら燃焼を我慢する彼を、母は痛々しく思った。しかし為す術はない。禁断症状まで出始め、とうとう彼はバーニッシュの村へ引っ越すことを余儀なくされた。
メイスは、母に捨てられた絶望感と、もう我慢をしなくてもいい解放感で混乱した。しかし村の人々は彼に優しく、およそ五年を暮らした。
メイスは十九歳になった。
大人になった彼は独り立ちをしたいと望むようになる。バーニッシュになる前に夢見ていたミュージシャンになりたいと言って、バーニッシュであることを隠しながらとうとう村を出ることになった。幼い頃母が教えた我慢の方法がのちに役に立つとは彼は思っていなかったが、燃焼欲求を少しずつコントロール出来るようになると、それまで募っていた母への憎悪も少しずつ和らいでいき、健やかな気持ちで一人暮らしを始めることが出来た。
プロメポリスへ来たメイスは早速アルバイトを始め、次第にバイト仲間とも打ち解けあい、趣味に興ずるようになる。バイト代をはたいてベースギターを購入し、若さに任せて夜明けまではしゃいだ。ようやく夢が叶うかもしれないと、メイスは時折ひとりで涙を流した。
そんな折マイアミは、未だ宿主を決めかねており、今夜はダラスに相談に来た。
「まだ決まってねぇのかよもうあいつでいいじゃん」
マイアミは今、気にかけている人間がいる。
「これ一回決めたら変えられないの? チェンジ無し?」
「無しだよバカ。神経繋いでんだからこっちが死ぬわ」
ダラスは、両足をバタつかせて喚くマイアミに、宿主にメイスを選んだことがいかに大正解だったかを懇々と聞かせ始めた。あんなに出来るやつはいない、最初に燃やさせた時も木造家屋半焼だった、ポテンシャルが高くて最高だとまるで自分のことのように喜んだ。
「それもう何度も聞いた。兄貴は?」
「まだだ。まだ体の大きさが足りねぇとよ」
「なんでそんな事分かるんだろう……。俺全然分かんねぇや」
「まぁフィーリングだよな」
「またそれかよ」
ダラスはこれから、メイスがバンドのライブに行くのでついて行くという。興奮して燃えたりしないかとマイアミが尋ねると、さぁな、と無責任に返された。
「ねえ、なんか人間てさ、意外と炎が嫌いなんだね。俺たちここに来るまで、あんなに嫌われてるなんて思わなかった」
「言ったところでどうしようもねぇよ、人間があんなに弱い生き物だってことも知らなかったからな」
まぁでも、鬱陶しいやつは燃やしちまえばいいだろう。五年前より幾分髪の伸びたメイスの背中を見つめながら、ダラスはぼんやりと考えた。
「メイスっていい人?」
「なんだよ急に」
「いやーだって、あんたがイラつかずに一緒にいるなんてすごいなぁと思って」
メイスは器としてはとても優秀だった。共鳴し始めた当初はまだ子供だったが、学校生活や勉強や習い事で慢性的にストレスを溜めていて、ダラスにとっては最高の体質だった。
ダラスはメイスと共鳴してからの五年間、彼の目を通していろんなものに触れた。しかし人間らの炎に対する認識はまったく進んでおらず、ただミュータントとしての既覚醒者を隔離するしか出来なかった。
ダラスは、自分が生まれたばかりの頃の、孤独な日々を思い出した。何を言っても理解されない、それを自分のせいだと思ったのは間違いではないだろう。本当はもっとお互いに踏み込んで、わかり合う必要があったに違いない。それが出来なかったのは相手も自分もお互い様だ。しかしここでは違う。人間は最初から自分たちを理解しようとはしないし、貼り付けられたレッテルの部分しか見ない。剥がそうとしてもしつこくこびりついて、もはや既覚醒者の言語では払拭できないのだ。
人間はつまらないなとぼやいたことがある。するとデトロイトは、小さくうなずく。
「今はまだ、僕たちも彼らを知らないからな。もっと知れば仲良くなれるかも知れない」
ダラスはその言葉を黙って反芻した。本当にそうだろうか、体から炎が出ると言うだけで殺し合う彼らに、本当に自分たちが理解できるだろうか。
メイスは、その点うまく立ち回っていると思う。自分の炎を隠す術を知っていて、過去そうであったように未覚醒者と仲良くしようと努力している。メイスの願いをダラスは理解した。街へ出てからは無闇やたらに燃やそうとせず、メイスは快適に日々を過ごした。
マイアミは大きな音が苦手なのでライブハウスの屋根の上で休むと言う。ダラスは密度の高い空気の中で、汗だくになって髪を振り乱し、仲間と演奏するメイスを見つめている。
「お前かわいそうにな。こんなに頑張っているのに」
けれど、この世界で自分たち炎に寄生された人間がどうなるか、この五年で痛いほど分かった。人間は弱い。その灯火に抗えず、共存も出来ず、文字通り人生を灰にするのだ。
メイスはステージの上で照明をいくつも浴び、キラキラと輝いていた。束の間の休息を、楽しそうに、愛おしいとばかりに感じていた。
「けどお前もそろそろ、時期が来た。残念だが」
兄貴の元へ行かなくちゃならないからな。
メイス、お前は自分の人生が辛かったろう。あの日俺が共鳴してから、いつ発作が起きるんじゃないかと怯えて暮らしていた。仲間の炎が村を作って、そこへ辿り着いたお前は泣いたな。悲しいでもつらいでもなく、怖いと言って泣いた。悪かったよ。
でもお前は強い。俺が認めた男だからな。だから燃やせ。何でもかんでも、心の底から燃やし尽くせ。
「そのギター、俺はずっと覚えておくから」
三、夢儚く
マイアミはここへ来てようやく焦りを感じ始めた。自分もほかの二つのように早く宿主を見つけなければ。しかし自分にどういった人間が合うのか、人間をどうやって探せばいいのかまるで見当もつかない。他の炎たちがなぜこの重要な局面で宿主を簡単に決められるのか皆目わからないでいた。
ダラスやデトロイトに尋ねてもフィーリングだなんて腑に落ちない回答しかもらえず、そんなことあるもんかと駄々をこねる。
これまで人間を何人も見てきた。年若い者、屈強な者、とにかく免疫が強そうなものを中心に見て回った。しかしこの人だという確信は持てず、頑張って好きになれるところを探そうとしても次第に興味を失ってしまう。自分と運命を共にする人間だ、他の炎には出来なくても、自分なら心を通わすことが出来るかもしれない。そういった人間との共鳴をマイアミは望んでいた。
そのまま四年が過ぎた。
兄貴のところが成長しちまうなぁ。マイアミが草むらに寝転がりながらぼんやり考えていると、急に甲高い音がして飛び起きる。後方の、音のする方に首を伸ばしてみると、楕円の薄っぺらい建物があったので急いで飛んでいく。開いた天井から見下ろすと、四角い枠の中で大勢の人間が割れんばかりの大声を上げている。皆両手を高くあげ、張り裂けそうな興奮を一心に発散している。
そうだ、もうここから手っ取り早く見つけてしまおう。マイアミはそう閃いて、人間の群れに向かってゆっくり降下した。
楕円の中はよく見ると異様な光景だった。へりに沿って丸く人間が群がり、持っているものでけたたましく音を立てている。中央の四角く空いたスペースでは、同じ白い服を着た人間が怒号から右往左往と逃げるようにしているのを、マイアミは怖いと感じた。何故逃げてるんだろう、なぜ怒っているんだろう。それは過去自らが受けた絶望と似ていて、どこかに隠れたくて仕方がなくなる。マイアミはどこか物陰がないか探した。
しかしどこにも隠れるところがなかったので、彼は怖いのを我慢してあたりを見て回ることにした。群衆を見回っていると、真ん中で逃亡する人間たちと同じ服を着た中に、ひとつの赤い瞳を見つけた。それはダラスと同じくらいの背格好をした赤髪の少年だった。
その少年は円周のヘリからじっと中央を見つめて、時たま眉間にしわを寄せたり、はっとしたりした。マイアミはそんな彼がとても苦しそうに見えて、つい、話しかけてみた。
「なんでそんな顔するの?」
当然彼には届かない。マイアミの声と重なって、群衆がコールする選手の名前がこだまのように響く。赤髪の彼の表情は、過去の自分と似ているとマイアミは感じた。本当はそんなわけはないのに、炎と人間が同じだなんてことはないのに、どうしても彼から醸し出される孤独の音が拭えなくて、そっと手を伸ばしてすり抜けてしまう手のひらが悔しい。
マイアミが心配するのをよそに、赤髪の彼の表情は曇ったままだ。
その時、彼の後方から声がした。
「ゲーラ、交代だ」
その声に赤髪の彼はすっと立ち上がり、目を真正面に見据えたまま静かに中央へ走って行く。後ろ姿は心細い。群衆は彼の名前を呼ばない。マイアミは直感的に、彼の心に穴が開いていると感じた。
「……なんで?」
また甲高い音が鳴り、それから彼は大いに活躍した。彼の名前がコールされ、怪しくなった雲行きに屋根が閉められていくと、延々とその名が反響する。会場は赤髪の彼の勇姿を称え溢れそうなほど笑顔を浮かべて、彼もそれに応えるように白い歯を見せていたが、その心の芯にある燻った炎を、マイアミは見逃さなかった。
試合は少年たちが勝った。
ゲーラと呼ばれた少年が、マイアミはどうしても気にかかる。最終的にみんなにちやほやされて楽しいはずなのに、その奥では悲しみがふつふつと湧いているのが見える。どうして悲しいと、苦しいと言えないのかな。マイアミはその試合が終わるまで黙って見つめ続けた。
その夜、マイアミがゲーラを尾行して一緒に帰宅すると、小高い丘の上に建つ彼の実家へたどり着いた。彼の寝室である小さな部屋の中には、楕円の中で見た衣装やボール、トロフィーがたくさん置いてあり、本棚にも指南書やスコアボードのファイルなどが山積みにされていた。壁には彼が笑顔で映る写真も飾ってあって、マイアミは彼の中の悲しみの訳がますますわからなくなる。もしかしたら訳なんかないのかもしれない。
人間は複雑だな。あいつならこの子がなにを考えているか分かるんだろうか。
自分は頭が足りないから分からないのだ。そう思うと、マイアミ自身も悲しくなってしまう。ゲーラの目の前に降りて、そっと赤い髪に手を乗せてみる。触れられないことはわかっているからこれは真似だ。しかし彼を理解したい。その思いがマイアミをそうさせた。
半年ほど、マイアミはゲーラを見守った。
ゲーラを監視し始めてわかったことがある。マイアミは監視だなんて恐ろしげな言葉は使いたくはなかったが、ダラスがそう言って聞かないのだ。仕方がない。
ゲーラはいま十七歳、高校二年生だ。縁あり大学のアメフト部に所属して、マイアミが出会ったときはその部活の大会の日だった。家族構成は母と歳の離れた妹、良き息子良き兄として暮らしていた。学校での素行はあまり良くはなかったが、それでも仲間がいて、部活というやりがいがあり、彼の人生はとても楽しいものだった。
その認識がだんだんずれてきたのは、中学に入ってからだった、突如肩の辺りにパチパチと違和感が走るようになる。最初は練習のやり過ぎかと思いケアを続けたが、その違和感はずっと消えなかった。
その違和感とはプロメアのことなのだが、当然本人たちは知る由もない。マイアミによるプロメア波を、無意識のうちにゲーラは受信してしまっていたことになる。バーニッシュと惹かれやすいという特性をゲーラはすでに得ていたのだ。
マイアミはゲーラと一方的に付き合いだして、彼がとても気に入った。かっこいい赤い髪、可愛い垂れ目。それをいうと面食いかよ、とダラスにどやされるが、自分が宿主を選ぶ決定打としては十分だと思った。
マイアミは彼と仲良くなりたかった、友達になりたかった。自分たちの声が聞こえないことはわかっていたが、それでも同じ星で巡り合った命として会話をしてみたかった。
兄貴は、自分たちが人間と共存できると本当に信じているんだろうか。こんなに近くにいて、遠いのに? 話しかけても気付いてもくれない。そんな生き物と本当に共存なんてできるんだろうか。マイアミは疑問に思いながら、今日もゲーラの後をついて行った。
──次のニュースです。昨夜、区内のライブハウスで大規模な火災が発生し、建物は全焼、二時間後に消し止められました。警察と消防による現場検証の結果、バーニッシュによる覚醒火災と断定。現場周辺の監視カメラの映像などからフリーズフォースと連携して、犯人の特定を急いでいます。この事件で、観客約百五十名、関係者三十名は全員連絡が取れておらず、建物内には無数の遺体があるとのことで、警察は身元の特定を急いでいます。
火災のニュースをゲーラは自宅のテレビで見ていた。その後ろでマイアミが首を傾げながら一緒に見入っていると、ゲーラは突如立ち上がり、テレビを消してしまう。あ、と声が出ても気づかれることはない。マイアミは、それが何より悲しかった。火災の顛末は昨日のダラスとメイスの一件でピンと来た。コメンテータはその事件を凄惨だと嘆いていた。炎は死がわからない。人間がなぜ死に執着するのかも、理解できない。
ゲーラは椅子にかけてあったジャケットを大げさに羽織り、早足で出かけてしまった。マイアミも急いで後を追う。バイクに乗って、十分くらい住宅街を走り続ける。夜は始まったばかりで、一番星と二番星が距離を置いて光っている。途中、誰かの家へ着いた。ゲーラとは違う髪の長い人間。彼はその人間を後ろに乗せて、二人乗りでまた走り出した。
二人は楽しそうに笑いながら、また飽きるほど走ったところの自然公園へ着いた。ここはマイアミもよく休憩をするところだ。公園の横道をずっと進むと、裏から展望台への一本道にたどり着く。
風を切ってぐんぐん上昇し、山道に木が生い茂っているのを避けながら走り抜ける。
丘の頂上は展望台になっていた。
今日はよく晴れて、月が出てきた。半月がくっきりと蒲鉾型に浮かび、その隣には金星が明るく光っている。
二人は何やら楽しそうに笑い、小突き合いながらふざけて遊んでいる。ゲーラのさっきまでの殺伐とした表情からは考えつかないほど、彼らは楽しそうだった。
ふと、マイアミに、大きく高鳴ったゲーラの鼓動が聞こえる。
「……」
二人は景色に見とれたあと無言になった。もう一人がゲーラに話しかけると、ゲーラの鼓動はますます熱を帯びて呼応した。マイアミは、チャンスだと思った。
ゲーラ、君がどうして寂しい思いをしていたか、俺にはまだわからない。けど、共鳴して一緒になれば、きっと、きっと俺にも教えてくれるよね。俺は君のことをわかりたい。どうしてこんなに悲しい顔をするのか。もし君が寂しいなら、俺と一緒だ。だから友達になろう。
「ゲーラ。今日から君は、ともだちだ」
四、時をかける彗星のように
炎たちがそれぞれ自分の宿主を見つけてしばらくの間、彼らはまだ未熟な宿主の世話で忙しくしていた。ある日、息抜きのために集まろうとデトロイトが声をかけると、各々土産話を持ち込んでいそいそと集まる。
地球に降り立った岩場に集まり、火山のふもとの赤土を見ながら茶を淹れていた。
炎たちは地球を満喫していた。ダラスは、メイスがバーニッシュの村へ帰りゲーラに出会ってから笑顔が増えたことを、マイアミはゲーラが村の人たちと仲良くしていることを、デトロイトは、宿主となる子が生まれ、すくすくと育っていることを話した。
マイアミとダラスは、ゲーラ、メイスから聞いた話をそっくりそのままデトロイトに話し出した。それはバーニッシュと化した人間の一部が、マッドバーニッシュという団体を組んでプロメポリスの街を荒らし、自分たちの炎を我が物顔で放出しているということだった。
「バーニッシュは食料品とかにも困ってるみたいでさ、街に出て暴れるついでに盗んでくるんですよ。あんまりよくねえぞーって言ってるんですけどね、聞く耳持たねえ」
「それはよくないな、マッドバーニッシュか……」
バーニッシュとしては迫害されている鬱憤を晴らすため、炎としては地球上でたくさん燃やしてストレスを発散させるために燃えるわけだ、両者の間には相乗効果のようなものも生まれているだろう。しかしバーニッシュではない人間たちにとってそれは驚異で、命を脅かされているとしか思えない。それらを踏まえてデトロイトにはある考えが浮かんだ。
「やはり僕たちがいるいないに拘らず、人間が仲間同士で争うのは良くない。どうにかしたいが彼らに僕たちの声は聞こえないんだ、お互い干渉しないように生きることはできないか」
それに対してダラスは答える。マイアミは親指の爪をカリカリ引っ掻いている。
「兄貴がそう言うのはわかる。けどどうやって?」
「僕の宿主が大きくなったら君たちのもとへ行かせるよ。僕ら三つならやれるさ、人間と炎との共存、お互い干渉せずに、今できる一番いいやり方をしよう」
そうして茶会はお開きになった。皆宿主のもとで生活をしているので、必然的にダラスとマイアミは同じ場所へ帰ることになる。ゲーラとメイスは意気投合し常に一緒にいる仲になったため、ダラスとマイアミもほぼ常に一緒にいた。
「あいつら、今日も街へ行くって言ってたな」
「うん、捕まらなきゃいいんだけど……」
不完全燃焼なまま分離されるのは炎にとっても負担が大きい。財団に捕まることは、二つの炎にとっても一大事なのだ。しかし二つの心配をよそにゲーラとメイスは、じゃんけんで最後の缶詰の取り合いをしていた。
デトロイトも幼い宿主のもとへ帰った。
玄関から礼儀正しく部屋の中に入ると、愛しくかわいい宿主が遊んでいる。そばにはお昼寝用の布団が敷きっぱなしになっており、母が疲れてぐっすり眠っている。デトロイトは宿主を見下ろし、優しい声で言った。
「ただいま、リオ・フォーティア。僕の宿主」
リオと呼ばれた赤ん坊は、緑がかった金髪をさらさら揺らし、おしゃぶりを噛みながら積み木を持ち上げる。彼がそのひとつを投げつけると、デトロイトの足をすり抜けて壁に当たった。
デトロイトはリオに近づき跪く。先ほどは共存だなんて大袈裟なことを言ったが、痛みも感じない炎が、こんな幼い子を巻き込んで異種間の共存だなんて任せていいんだろうか。
どうしよう。しかし僕にはこれくらいしかできない。帰るすべもない、燃やさないと生きていけない自分たちがこの地球で暮らすには、こうするしかない。
「今日は君に言いたいことがあるんだ」
リオは何かを感じ取り、首を傾げる。しかしデトロイトが見えているわけではない。まだ幼い彼は、幼いゆえの才能でそれを感じ取っているのだ。リオは、自分の感じた不穏な空気に一瞬癇癪を起こしそうになるが、デトロイトがその額に手を置くと、すぐに心を落ち着かせた。
「僕と一緒に、バーニッシュとして人間と炎の共存を手伝ってくれる?」
リオがどう返事をしたか、デトロイトはわからない。けど、彼に任せるしかない。だって自分が選んだ宿主で、自分は共存を望んでいるから。わがままだってわかっているが、彼ならきっとわかってくれる。そう信じていた。
その夜、街が一つ燃えた。
マイアミの夢
初めては、丘の上の展望台だった。
彼女が夜景を見たいっていうから、買ったばかりのバイクに二人乗りをして駆け上がる。
展望台からの景色はすごかったぜ、街々の灯りが天の川のように向こうまで続いて、彼女と綺麗だねって笑って、いつも通り冗談も言い合った。
ふと彼女の目の色が変わったんだ、ねぇゲーラって呼び止められて、振り返ったらいつもと違った。
目元が潤んで、ニコって笑って、俺の腕を掴んでから目を瞑ったんだ。
これは! って思った、ガキだったからな。無茶苦茶に緊張し始めて、捕まえられた腕が震えるのを必死で抑えて、彼女の肩を両手で抱いたら、声が聞こえたんだ。
あの頃よくあったろ、やべー事件があって、犯人が「神の声が聞こえた」ってやつ。そんな感じなんだ。
「燃えろ、もっと、燃やせ、もっと‼︎」
気がついたら病院にいて、彼女は焼死体で発見されたって聞いた。俺が殺したんだ、俺はあの時覚醒して、フレアで彼女を殺しちまった。
バーニッシュ迫害は当初より落ち着いたらしいがまだあった。じーさんばーさんたちは特に。
俺、ばあちゃん子だったからよ、なんて言われるか、ばあちゃんに嫌われちまったらどうしようって考えてたし、親も友達も、俺のこといじめるのかなって不安だった。
でも違った、家族はあまり周りに言わないように言ったけど、友達はニュースでしか見ないバーニッシュの炎をすげえって言って喜んでくれた。
「でも俺には彼女を殺した事実しか存在しないんだよな」
俺とメイスは壁に寄りかかって、体育座りをしてだらだらと昔話をしていた。なんの流れでこうなったかは忘れたが、俺はふと思い出したバーニッシュを発現したときのことを話した。
「なに暗いこと考えてるんだ」
「友達も親も普通通りに接してくれた、だが俺を一番に苦しめたのは人を殺したことなんだ。大好きだった彼女を殺したのになんのお咎めもなし、正直助かったよ、だがな、それは、よくねぇ事だ。だから黙って家を出た」
メイスはなにが言いたいんだという視線を俺にくべながらも、俺の次の言葉を隣で待っていたように思う。それか呆れているかのどちらかだ。
だが次の言葉を全く考えてなかった俺は、ぼんやりと机の上の小さな花瓶を見つめた。
長い事メイスは待っててくれた。でも次がないと悟ると、ふぅとため息をついて言った。
「お前がこの炎に苦しめられてるのはわかった。だがな、俺たちは選ばれたバーニッシュだ。炎の声を聞いて燃やし尽くす。それが俺たちだ。お前は強い、無論俺も。誇りに思えよ」
俺の頭をぽんと叩いてメイスは立ち上がり、扉の前で振り返って笑った。
「なぁゲーラ、派手にやろうぜ!」
もう夜だった。この街はあの街と似てる、俺が十七まで暮らした、俺をバーニッシュにした街と似てる。
プロメポリス中をマイアミで暴走すると、吹き付ける風が気持ちよくて清々した。
姿勢正しく、とりどりのネオンが光る中をフレアが勢いよく飛び散ると、夜の魔法でわくわくした。
やたらめったらに燃やすのは、炎がそう望んでいるからだ。いくら燃やしても熱くはない、だけど燃えている感覚は体の芯まで感じられる。
メラメラと沸き起こる衝動、高揚感。バーニッシュとして生きて、昔は感じられなかった開放感を得るために、俺たちは最強だ! と大声をあげて、2人で街を走りまくった。
走り疲れて村まで帰るともう日が昇り始めていた。心地よい疲労感とまどろみの中家に帰ると、俺はベッドに倒れこむようにすぐに眠っちまった。
眠ってる間は幸せだ。炎の声を聞くこともなく、自分たちを迫害する者もいない。フリーズフォースも居なければ、バーニングレスキューも来ないのだ。
今日の夢にはメイスが出てきた。
俺の無二の相棒、あいつもそう思ってるはずだ。
あいつは頭がキレるから指示も的確で、俺の話もよく聞いてくれる。夢の中でもそうだった。
俺たちは長いこと笑いあい、調子付いて小突きあい、悩みを分かちあった。
ふと、メイスは俺に笑いかけて、つり目の三白眼を和らげた。
「ゲーラ、俺お前に言わなきゃならないことがあるんだ」
「なんだよメイス、改まって」
夢の中のメイスはあぐらをかき直し、前傾姿勢になってまず俺の向こうの床を見つめた。
細い肩がふらっと揺れて、俺が彫った風刃の刺青が髪の間から見える。
相変わらず華奢だなあ、本人に言うとお前もそうだろって怒るから、心の中で思った。
「その、」
「マジでなんだよ、気持ち悪りぃなこっち見ろよ」
いつも冷静なメイスがいつになく余裕なさげな顔をするので思わず笑ってしまった。
だからいつもみたいに目を合わせて話せって意味でそう言ったけど、俺はそれをすぐに後悔した。その後のメイスの目があまりに真剣で真っ直ぐだったから。こんなに熱い視線を向けられるなんて思ってなくて、夢の中なのに心臓が跳ねた。
しばらく見つめられて声を失った後、メイスはちらっと視線を外し、またすぐに俺を見た。左耳に髪をかけると真っ赤になっていて、それから口を引き締め直して、喉が詰まったような声で、俺の名前を呼んだ。
「げ、ゲー、ラ。俺実はさ、」
そこで目が覚めた。えっ、て声が出て、隣で眠るメイスを見てまた、へっ、って声が出た。
二度目の声は大きく出ちまったらしく、うるさいな、とメイスが目を覚ました。
「なんだよゲーラ、蛇でもいたか?」
「メイス?」
「なんだよ」
「俺になんか言いたいことあるのか?」
やべぇ、話を蒸し返したら、あの目でまた見つめられちまうかも知れない。でも聞かずにいられなかった。
でもメイスは、訳がわかんねぇって顔をして髪をかきあげた。左耳は赤くない。メイスは眉間にしわを寄せてあくびをし、目覚まし時計の針を見て枕にばたんと突っ伏した。
「まだ七時じゃねーかよー、眠みーわ」
「わりぃ、寝るか」
俺も枕にうつ伏せになって、次またメイスが夢に出てきても、話の続きはあまり聞きたくねぇなぁ、と考えた。
しばらくしてうとうととし始めた時、横から低い声がした。
声の方を見やるとメイスは枕から顔を上げ、頬杖をついてこっちを見ている。
「そういやぁ、いつからだっけなぁ、お前がバーニッシュになったの」
「あ?もういいだろ、こないだ散々からかったのはどこのどいつだよ」
「はは、悩めるゲーラちゃんの話を聞いてやろうと思ったんだけどなぁー」
メイスはいつも通り自信に溢れた笑みを讃えていて、俺はそれになんとなくムッとして、メイスを背に寝返りを打った。
「別にっ、俺はメイスみたいに頭良くねぇからな、つまんねーことに悩んじまうんだよ!」
「なぁ、ゲーラ」
夢の中と同じ声だ。途中で途切れてしまったあの、耳を真っ赤にしながら俺を呼ぶあの声だ。
背中の視線を痛いほど感じながら、俺はその針から逃れようと身を縮めた。
「なっ、なんだよ!」
「俺お前に言わなきゃならないことがあるんだ」
マジかよ、マジで一緒だ。夢じゃない、現実のメイスが、俺に何の用だよ。
その声色が怖い。優しいのに、いつものメイスじゃないみてぇだ。俺は布団の中で縮こまり頭まで布団を被った。
「なん、何の用だよ!」
「その彼女のことはまだ好きなのか?」
「……は?」
「何年も前のことだろうが、相当思いつめた顔をしてたからな。まだ、好きなのか」
諭すような、伺うような、どちらとも取れる口調で、メイスは俺に聞いた
あの子のことが好きかだって? そんなんもうわかんねぇよ。今までほとんど忘れてたのに、急に思い出したんだ。
ここにメイス達と一緒にいるのが楽しかったのに、あの頃否定してたバーニッシュである自分を認めてやれそうだったのに。
思い出した途端、メイスにまで思ってもないことを言われる。
俺は、あの子を忘れちゃいけねぇのかな。
あの子を殺した罪は消えねぇ。だけど、俺は許されたい。許されて楽になりてぇ。ここではそれが出来ると思っていたのに。
「なんでそんな事きくんだよ!」
「お前が、言いたいことがあるのかって聞くからだろ」
布団の中で叫び立てると、ギシリとメイスの手が俺の枕元で体重をかける音がして、頭の位置が少し下がった。布団を少しめくられて視界が明るくなると、メイスの長い髪が少し頬に触れた。
「ゲーラ、泣いているのか?」
「はっ⁉︎ 泣いてなんかねーよ! 馬鹿じゃねーの‼︎」
「すげー泣いてる顔してっけどな」
「泣いてねーよ! 笑うな!」
永遠に俺の枷として足を、腕を、首を、絞めてくるんだ。バーニッシュの炎が俺を燃やし続けても消えることはない罪の意識を、メイスには理解できねぇだろうな。
「笑ってねーよ。心配で言ってるんだ、猪突猛進なお前がこんなに悩んでるなんてな。」
「お前には関係ねーよ」
だから気にしないでくれ、これは俺の問題なんだ。そう思って、なぜか声にはならなかった。
「なんだと?」
「……っ!」
「ゲーラてめぇ、俺をなんだと思ってる。お前のこと毎日見てて、いつもならあっけらかんとしてるのに、こんなに思いつめた顔してるのを見たら心配するに決まってるだろ!」
気付けばメイスは俺に馬乗りになっていた。布団を被ったままの俺の上に、さっきよりもっと髪がかかる。
ゆっくり視線を壁からメイスに移すと、メイスはフレアに包まれていた。
「メイス……?」
「バカはどっちだ、何も言わずに一人で悩んで、なんのために俺がいるんだよ!」
「へっ……?」
「くそっ、ふざけるなよ! お前がそんなに罪悪感抱くほどそいつが大事だったのかよ! あれから何人殺したと思ってる! 被害者ぶるのもいい加減にしろよ!」
「そん、な……」
轟々と燃えるメイスのフレアの中にいると、俺も自然と燃え上がった。この感情は怒りでも、欲求の発散でもない。だとしたらなんなんだ、勝手に炎が、溢れ出てくる。
「前も言ったがお前は強い。俺がマッドバーニッシュを続けていけるのは、お前がいるからだ。お前が俺を掻き立ててくれるからだ! 自分の力を信じろ!」
「な、何恥ずかしい事言ってんだよ」
俺たちのフレアが混じり合って、優しい音がする。メイスの炎は怒ってるんだってわかるけど、バチバチと激しいものじゃない。俺たちに力をくれる、すげー優しいものだった。
それからメイスは俺の上にうずくまって黙った。服を握り締められて、綺麗な髪が全部俺の顔の上に落ちて、口の中に入っちまったけど、メイスは気にする様子もなく俺の胸の上にこうべを垂れている。
「ゲーラ、俺がお前に言いたかったことはこんな事じゃない」
「あ? じゃあ、なんだよ……」
「……本題の前にだ、だから、昔の彼女がまだ好きなのか」
「それ、そんなに大事かよ?」
「大事だ、大事なことだろ!」
「腹の上で叫ぶなよくすぐったいからぁ!」
髪も吐き出したいし何より重い。上半身だけ起き上がると、俺の腹にしがみついたメイスと目があった。
えっ、と俺は声を上げた。メイスは真っ赤だ。耳も顔も、首まで真っ赤になっていた。俺が声を出したもんだからメイスは決まり悪そうにして、また俺にしがみついて顔を隠した。
「どうしたんだよメイス、真っ赤」
「うるせぇ! 黙って答えろよ!」
答えろったって、本当につい先日まで忘れていた人のことをどう思うかなんて、知らねぇよ。
「とにかく落ち着け、どうした」
「その、彼女って奴、お前の心にずっと生き続けるのか」
羨ましいな、と呟いて、メイスは顔を伏せたまま俺の頬を撫でた。
フレアの中は熱くない。でもメイスの手はすごく熱くて、触れられたところから血液が集まってしまったみたいに、俺も熱くなった。
「お前、俺のこと好きなのか?」
「なにを今更。……こんなにしないとわからねぇなんて、ほんと馬鹿だな、お前」
ようやく上げた顔は火照ってのぼせそうになっていた。つり目の三白眼がとろりと溶けて、眉をハの字にしてメイスは笑った。
「あ、あぅ、あの、」
「なんだよゲーラ、言葉忘れたか。」
「そんなんじゃねーよ! だって、全然そんな素振り、俺、知らなくて……。」
「いいんだ、俺はお前といられればそれでよかった。お前の隣にいるのは俺の特権だからな」
そこが可愛いよ、と言ってメイスはまた俺の頰を撫でて、キスをした。
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